ギャラリー
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片倉家の居城「白石城」 慶長7年(1602)、伊達家の重臣片倉小十郎景綱が拝領し、以後10代260年の間片倉家の居城であった。 幕府が発令した一国一城令後も存続が認められた稀な城である。戊辰戦争時には、奥羽越列藩同盟の公儀所が置かれるなど歴史の転換期にも度々登場する。明治7年に民間に払い下げられ逐次解体されたが、平成7年、三階櫓(天守閣)と大手門が、史実に忠実に、日本古来の建築様式に基づき、全国的にも数少ない木造により復元された。 |
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功徳山当信寺 浄土宗。慶長2年(1597)良益上人の開基と伝えられる。山門は白石城東口門で、三間一戸、二階建瓦葺を移築したもの。境内には真田阿梅(おうめ)、大八の墓がある。 元和元年(1615)の大坂夏の陣で、大坂方の知将・真田幸村は、伊達家の重臣・片倉重長に二人のほか阿菖蒲(おしょうぶ)、おかねの4児の養育を託したとされている。阿梅はやがて片倉2代重長の後室となり、大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り、伊達家に召し抱えられた。 阿梅の墓石は如意輪観音像を象っており、その形が歯痛のため頬を抑えているように見えるところから、虫歯に苦しむ人たちは、この墓石を削り、付けると良く効くとの迷信が生まれた。 |
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片倉家廟所 片倉家代々の城主の墓所。3代景長によって、白石城の見える福岡蔵本の愛宕山山麓が選ばれた。9代までの歴代の城主は石像を墓標としたが、10代宗景は、角柱状の墓碑となっている。 城主夫人は、傑山寺や当信寺など廟所外に葬られているが、7代村廉(むらかど)夫人のみは、仙台藩主吉村公の息女お郷様(昌子夫人)とあって、城主同様の石像を墓標として、ここに葬られている。 |
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